東京地方裁判所 昭和61年(ワ)1012号 判決 1989年7月10日
原告 石原産業住宅株式会社
右代表者代表取締役 池田順子
右訴訟代理人弁護士 足立武士
同 市野澤裕子
被告 株式会社 サンアイ
右代表者代表取締役 吉田征郎
右訴訟代理人弁護士 大宮竹彦
主文
一 被告は、原告に対し、別紙物件目録一記載の建物のうち別紙図面記載のア、イ、ウ、ヌ、アの各点を順次直線で結ぶ線で囲まれた範囲の建物の部分(以下、「い」部分建物という。)を明け渡せ。
二 被告は、原告に対し、原告から金六〇〇〇万円の支払いを受けるのと引換えに、別紙物件目録一(但し、「い」部分建物を除く。)及び二記載の建物並びに同目録三の1及び2記載の土地を明け渡せ。
三 被告は、原告に対し、昭和六〇年一二月一五日から別紙物件目録一記載の建物(但し、「い」部分建物を除く。)明渡し済みに至るまで一か月金五万円の、昭和六一年五月九日から同目録二記載の建物明渡し済みに至るまで一か月金二二万六〇〇〇円の、昭和六一年五月九日から同目録三の1記載の土地明渡し済みに至るまで一か月金二万八〇〇〇円の各割合による金員を支払え。
四 原告のその余の請求を棄却する。
五 訴訟費用は、これを六分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
(主位的請求)
1 被告は、原告に対し、別紙物件目録一及び二記載の建物並びに同目録三の1及び2記載の土地を明け渡せ。
2 被告は、原告に対し、昭和六〇年一二月一五日から別紙物件目録一記載の建物(但し、「い」部分建物を除く。)明渡し済みに至るまで一か月金五万円の、昭和六一年五月九日から同目録二記載建物明渡し済みに至るまで一か月金二二万六〇〇〇円の、昭和六〇年一月一日から同目録三の1記載の土地明渡し済みに至るまで一か月金二万八〇〇〇円の各割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 仮執行宣言
(予備的請求)
1 被告は、原告に対し、原告から金二五〇〇万円又はこれと格別の相違のない範囲内で裁判所の定める額の金員の支払いを受けるのと引換えに、別紙物件目録一及び二記載の建物並びに同目録三の1及び2記載の土地を明け渡せ。
2 主位的請求2項と同旨
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 別紙物件目録一及び二記載の建物について
(一) 賃貸借契約の成立及び更新
(1) 原告は、昭和五二年一二月一五日、被告に対し、別紙物件目録一記載の建物(以下「本件建物一」という。)を、賃料一か月一〇万円、期間二年、の約定で賃貸し、その後、被告との間で期間経過毎に同一期間で契約の更新を繰り返し、昭和五八年一二月一五日、賃料一か月一一万一三〇〇円、期間二年、の約定で右賃貸借契約を更新した。
(2) 原告は、昭和五五年五月九日、被告に対し、別紙物件目録二記載の建物(以下「本件建物二」という。)を、賃料一か月一八万五〇〇〇円、期間二年、の約定で賃貸し、その後、被告との間で期間経過後に同一期間で契約を更新したうえ、昭和五九年五月九日、賃料一か月二二万六〇〇〇円、期間二年、の約定で右賃貸借契約を更新した。
(二) 本件建物一の一部合意解約
原告は、昭和六〇年四月一九日、被告との間で、「い」部分建物の賃貸借契約を合意解約した。
(三) 更新拒絶の意思表示
原告は、昭和六〇年六月初めころ、被告に対し、右(一)記載の賃貸借契約の更新拒絶の意思表示をした。
(四) 更新拒絶の正当事由
右更新拒絶には次のとおり正当事由がある。
(1) 東京都新宿区西新宿七丁目一二四番六宅地六六一・九一平方メートル(以下「本件土地」という。)上には石原産業ビル、第一富士ビル、第二富士ビル旧館及び新館と各通称される四棟の建物(以下「本件各建物」という。)が存するところ、本件建物一は第二富士ビル新館の、本件建物二は第二富士ビル旧館の、各一階部分に位置している。
(2) 第一富士ビルは昭和二五年ころに、第二富士ビル旧館は昭和二九年ころにそれぞれ建築され、次いで、昭和四二年ころまでに石原産業ビル及び第二富士ビル新館が順次増築された結果、本件各建物のうち、最も古い建物は築後三〇年以上、最も新しい建物でも築後二〇年以上を経過しているうえに、木造構造であることもあって、次のとおり老朽化が著しい。
イ 第一富士ビルについては、二階ベランダ部分の手すり等が腐食し、二階雨戸は開閉ができず、二階空室は天井が崩れ落ち、床面、柱等も腐食して使用できない状態である。
第二富士ビル旧館も、二階空室は畳にかびが生え、床面、柱等が腐食して壁の一部がはがれ落ちている。
ロ 本件各建物の壁全体に亀裂が生じ、壁の一部がはがれ落ちており、また、白蟻の被害を受けて崩壊の恐れがある。
(3) 本件各建物は、右のとおり順次増築を重ねてきたため建物全体として複雑な構造となっているばかりでなく、右老朽化と相まって、防火、防災上、きわめて危険な状態である。また、修繕をするについても、右老朽化の程度及び本件各建物の特殊性から大修繕にならざるを得ないところ、本件各建物は、建築基準法上の防火地域に存し、同法上のいわゆる既存不適格建築物に該当するので、右大修繕のためには建築確認が必要である。
しかるに、右建築確認を得るためには耐火建築物でなければならないところ、本件各建物は右要件を具備しないので、結局、建物を新築せざるを得ない。
(4) 近隣建物のほとんどは鉄筋構造のビルディングに建て替えられ、本件各建物のみが老朽化した姿をさらしており、街全体としての美観を損ねている。
(5) 本件土地は、新宿区小滝橋通りからわずか一〇〇メートルの場所に位置し、建築基準法上商業地域に指定され、建ぺい率九〇パーセント、容積率五〇〇パーセントと定められていて、土地の有効利用上もビルディング新築の必要がある。
(6) 原告は、かねてから本件各建物の建替えを計画し、昭和五五年ころに被告にもその旨を伝え、その後の契約更新の際には、被告との間で、原告が賃貸建物を増改築するため被告に立退きの必要が生じた場合は原告は他に適当な代替物件を提供する旨の特約をするとともに、賃料を低額に抑えてきた。
(7) 原告は、昭和六〇年六月始めころ、周辺住民との協議及び本件各建物の他の賃借人との間の立退方の話合いが成立したので、被告との立退交渉に入り、建物建替えのため次回の更新はできない旨通知した上、前記特約に基づき、新築建物完成までの間代替建物を従前と同じ賃料で提供する、移転費用及び移転の際の機械整備費用(機械一台について二〇万円)を原告が負担する、新築建物には被告を優先的に再入居させ、その際の保証金は従前差入れていた保証金をもってこれに充て、賃料も従前と同額とする旨の再入居案を提示し、具体的な代替建物(三軒)の提示もしたが、被告はこれに満足せず、右提案を拒否した。そのため、原告は再入居案を断念し、一〇〇〇万円の立退料を提示して本件建物一及び二の明渡しを求めたが、これも被告が一億円の立退料を要求したため交渉は決裂した。
(8) 原告はすでに新築建物について具体的な設計を行い、昭和六〇年六月には右新築建物の建築確認を申請し、同年一二月二〇月付でその建築確認を得ている。また、本件各建物に入居していた被告以外の賃借人はいずれも、すでに明渡しを終え、あるいは再入居を条件に明渡しを了承しており、被告が本件建物一及び二の明渡しをすれば直ちに建物新築に着手できる状態にある。
(五) 正当事由の補完のための金員提供
原告は、予備的に、右正当事由を補強するため、借家権相当額二五〇〇万円ないしこれと格段の相違のない範囲内で裁判所の決定する金額の立退料を支払う用意がある。
2 別紙物件目録三の1記載の土地(以下「あ」部分土地という。)について
(一) 賃貸借契約の成立
原告は、昭和五五年六月一日、被告に対し、「あ」部分土地を、期間五年、賃料二万円、の約定で賃貸し、その後、賃料は一か月二万八〇〇〇円に改定された。
(二) 合意解除
原告と被告は、昭和五九年一二月三〇日、自動車保管場所(車庫)を、昭和六〇年一月一日以降、「あ」部分土地から「い」部分建物に変更することに合意し、もって「あ」部分土地についての賃貸借契約を昭和五九年一二月末日限り合意解除した。
(三) 留保解約権の行使
(1) 原告と被告は、「あ」部分土地の賃貸借契約にあたり、当事者双方は、少なくとも一か月前に通知することにより右賃貸借契約を解除できる旨合意した。
(2) 原告は、昭和六〇年七月八日、被告に対し、右賃貸借契約の解約を申し入れ、その結果、右申入れから一か月後の昭和六〇年八月七日の経過により右賃貸借契約は解約された。
(四) 建物賃貸借契約の終了に伴う賃借権の消滅(不利益陳述)
(1) 「あ」部分土地の賃貸借契約は、本件建物一及び二の賃貸借契約に付随する契約であり、右建物賃貸借契約が終了すれば、「あ」部分土地の賃貸借契約も当然終了する約束であった。
(2) 右建物賃貸借契約は、右建物についての前記請求原因記載のとおり、更新拒絶により終了した。
3 別紙物件目録三の2記載の土地(以下「う」部分土地という。)について
(一) 訴外萩原実、同石原康雄及び同池田順子は、昭和四〇年九月二九日、原告に対し、本件土地を、賃料一か月七万円、期間二〇年、目的建物所有、の約定で賃貸し、契約は、昭和六〇年九月二八日、同一条件で更新された。
(二) 原告は、本件土地上に第二富士ビル旧館を所有し、保存登記を経由している。
(三) 被告は、現在、「う」部分土地を占有している。
4 よって、原告は、被告に対し、本件建物一及び二について、主位的に無条件の、予備的に前述の金員支払いと引換えの明渡しを求めるとともに、本件建物一(但し、「い」部分建物を除く。)についての賃貸借契約の終了の日の翌日である昭和六〇年一二月一五日から右建物明渡し済みまで一か月五万円の割合による賃料相当損害金の支払いを、本件建物二についての賃貸借契約終了の日の翌日である昭和六一年五月九日から右建物明渡し済みまで一か月二二万六〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払いを、「あ」部分土地の賃貸借契約の終了に基づき右土地の明渡し及び右賃貸借契約の合意解除による終了の日の翌日である昭和六〇年一月一日から右土地明渡し済みまで一か月二万八〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払いを、本件土地賃借権に基づき「う」部分土地の明渡しを求める。
二 請求原因に対する認否
1(一)(1) 請求原因1の(一)の(1)の事実は認める。
(2) 同1の(一)の(2)の事実のうち、賃貸借契約成立の日は否認し、その余は認める。右日時は昭和五五年六月一日である。
(二) 同1の(二)の事実は否認する。
(三) 同1の(三)の事実は否認する。
(四)(1) 同1の(四)の(1)の事実は認める。
(2) 同1の(四)の(2)の事実のうち、本件各建物がいずれも木造構造で築後二〇年以上経過していること、第一富士ビルに何らかの虫害が発生したことは認め、その余は知らない。本件各建物はいずれも未だ堅牢であり、イ及びロの事実の主張には多大な誇張があるうえ、仮に右事実が真実だとしても、これらは原告が賃貸人としての修繕義務を故意に履行せずに放置しているために生じたものである。
(3) 同1の(四)の(3)の事実は否認する。
(4) 同1の(四)の(4)の事実は否認する。
(5) 同1の(四)の(5)の事実のうち、本件土地の容積率が五〇〇パーセントであることは認め、その余は否認する。本件土地は小滝橋通りから一五〇メートル離れ、建ぺい率は八〇パーセントである。
(6) 同1の(四)の(6)の事実は否認する。
(7) 同1の(四)の(7)の事実のうち、原告主張の特約が存したこと、周辺住民との協議及び本件各建物の他の賃借人との間での立退方の話合いが成立したことは否認し、その余は認める。
(8) 同1の(四)の(8)の事実のうち、前段は知らない。後段は否認する。
(五) 同1の(五)の事実のうち、借家権相当額は二五〇〇万円であることは否認し、その余は知らない。
2(一) 同2の(一)の事実は認める。
(二) 同2の(二)の事実は否認する。
(三)(1) 同2の(三)の(1)の事実は否認する。「あ」部分土地の賃貸借契約書は市販の定型文書であり、解約権留保の規定は例文にすぎない。
(2) 同2の(三)の(2)の事実のうち、解約申入れの日及び解約の効果は否認し、その余は認める。右解約申入れの日は昭和六〇年七月一〇日ころである。
3 同3の事実はすべて認める。
三 抗弁
1 本件建物一及び二について(正当事由の評価障害事実)
(一) 本件建物一及び二の使用の必要性
被告は、本件建物一及び二において印刷業を営んでいるところ、昭和五八年ころに、得意先であった日本技術調査株式会社からの受注がなくなって一時的には打撃を受けたものの、その後の営業努力及び東京都庁の新宿移転の現実化による公共入札等の増加によって、営業も順調に拡大し、現在では年商が六〇〇〇万円ないし七〇〇〇万円にのぼり、従業員六名及びパート若干名を雇用している。
印刷業には騒音及び振動が伴うため、木造建物で地下階のない店舗であることが望まれ、また、材料及び製品の搬出、搬入のため工場出入口に自動車が横付けできることが不可欠であるところ、本件建物一及び二はこれらの条件をすべて充足しており、しかも新宿副都心に近く、極めて立地条件がよいのであって、これらの条件を具備した代替物件を見つけるのは極めて困難である。
被告のような零細印刷業者は、周辺住民からの名刺、年賀葉書等単価の低い商品の印刷請負に依存せざるを得ないところ、現に、被告の売上げのうち三五パーセントはいわゆる飛び込みの地元客の注文であり、固定客を含めると売上げの九〇パーセントが地元客の注文であって、被告の営業は地元に密着している反面、新宿区内だけでも約二〇〇〇軒近くの印刷業者があることに鑑みると、被告が現在地から移転すれば、顧客の大部分を失うことになる。また、被告は一〇余年の信用をもとに現在地の近隣に写植、タイプ等の下請業者を得ることができたが、移転に伴いこれらの下請業者をも失うことになる。
(二) 借家権価格
鑑定の結果によれば、昭和六一年一一月二一日時点における本件建物一及び二の借家権価格は二五〇〇万円であるが、地価は、昭和六二年から同六三年秋にかけて異常に高騰し、その後、一般には多少下がっているものの、本件土地周辺は、都庁の移転に伴うオフィスビルディングの不足のため地価が下がる気配はなく、現在でも一坪二五〇〇万円ないし三〇〇〇万円であり、これに照らすと現在の借家権価格は、右鑑定価額を大幅に上回っている。
(三) 立退交渉の決裂の原因
被告は原告からの明渡要求にも誠実に対応したが、結局原告の立退案を拒否したのは、前記の移転に伴う経済的損失、新築ビルディングにおける振動、騒音対策や駐車場の確保等について原告が全く配慮を示さなかったためである。
2 「う」部分土地について(占有正権原)
被告は、昭和五五年六月一日、本件建物二を原告から賃借するにあたり、右建物西側出入口に接する「う」部分土地を、右建物利用に通常伴う敷地利用部分として原告から無償で借り受けた。
四 抗弁に対する認否
1(一) 抗弁1の(一)の事実のうち、被告が本件建物一及び二において印刷業を営み、昭和五八年ころに得意先であった日本技術調査株式会社からの受注がなくなったこと、現在地が新宿副都心に近く立地条件がよいことは認め、現在、従業員六名及びパート若干名を雇用し、営業が拡大傾向にあることは否認し、その余は知らない。
(二) 同1の(二)の事実のうち、鑑定の結果によれば、昭和六一年一一月二一日時点における借家権価格が二五〇〇万円であることは認め、その余は知らない。
(三) 同1の(三)の事実は否認する。
2 抗弁2の事実は否認する。
五 再抗弁(「う」部分土地についての占有正権原の抗弁に対し)
本件建物二の賃貸借契約は、右建物に関する前記請求原因記載のとおり、更新拒絶により終了した。
六 再抗弁に対する認否
再抗弁事実は否認する。
第三証拠《省略》
理由
一 本件建物一及び二について
1 請求原因1の(一)の(1)の事実(本件建物一の賃貸借契約の成立及び更新)については当事者間に争いがない。
2 同1の(一)の(2)の事実(本件建物二の賃貸借契約の成立及び更新)については、賃貸借契約成立の日を除き当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、昭和五五年五月九日に右賃貸借契約が締結され、遅くとも同年六月一日までに右建物が引き渡されたものと認められる。
3 同1の(二)の事実(「い」部分建物の合意解約)について判断するに、《証拠省略》によると、被告は、営業不振に陥ったのに伴い、これを合理化する方策の一環として、昭和五九年一二月、原告との間で「い」部分建物についての賃貸借契約を合意解約したうえ、本件建物一についての保証金一二〇万円のうち「い」部分建物に相当する六五万円の返還を受けた(なお、この際、本件建物一から「い」部分建物を除いた部分の賃料も以降一か月五万円に減額された。)ことが認められる。《証拠判断省略》
したがって、原告の「い」部分建物の明渡請求は理由がある。
4 同1の(三)の事実(更新拒絶の意思表示)は、《証拠省略》により認められる。
5 そこで、同1の(四)の事実(更新拒絶の正当事由)について判断するに、本件土地上に本件各建物が存すること、本件建物一は通称第二富士ビル新館の、本件建物二は通称第二富士ビル旧館の、各一階部分に位置すること、本件各建物がいずれも木造構造で築後二〇年以上経過していること、本件土地上の建築基準法による容積率が五〇〇パーセントであること、原告が、昭和六〇年六月初めころから被告との立退交渉に入り、まず、再入居案として、原告が移転費用等を負担し、従前と同一賃料で代替建物を提供する、再入居時の賃料は従前と同一とし、保証金は従前のものをもってこれに充てる旨提示したが、被告が代替建物に満足しなかったことなどから、再入居の交渉はまとまらず、そこで、原告が立退料一〇〇〇万円を提示したが、被告は一億円を要求したため、結局、交渉は決裂したことについては当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、《証拠省略》を総合すれば次の各事実が認められる。すなわち、
(一) 本件各建物の存する本件土地は、JR東日本新宿駅の北方約一キロメートル(道路距離)の地点に位置し、JR中央線と通称青梅街道に挟まれた地域に存するところ、土地区画整理事業が施行されず、道路の幅員が狭いため、土地の高度利用が妨げられ、小店舗、営業所、飲食店等の中低層建物が建ち並んでいる。
本件土地は、いわゆる商業地域に存するため一般的には建ぺい率八〇ないし九〇パーセント、容積率五〇〇パーセントの建物の建築が可能であるが、前面道路の幅員が約四メートルしかないことから、建築基準法五二条の制限を受ける。また、本件各建物の存する地域一帯は建築基準法上の防火地域に指定されているところ、本件各建物は後述のとおり木造の老朽化した建物であり、同法上の既存不適格建築物に該当する。
(二) 本件建物二の存する第二富士ビル旧館は、昭和二九年八月ころに建築された木造瓦葺二階建の共同住宅(現況、事務所及び工場)であり、使用資材、仕様、施工の程度及び保守管理の程度は標準より劣り、築後三〇年以上を経過していることから、二階ベランダの手すり及び床部分が傷むなど老朽化が著しく、また、本件建物一の存する第二富士ビル新館は、昭和四一年四月ころ建築された木造亜鉛メッキ綱板葺二階建の事務所であり、第二富士ビル旧館よりは新しいものの、同様に使用資材、仕様、施工の程度及び保守管理の程度は標準より劣り、築後二〇年以上を経過していることから老朽化している。
(三) 原告は、昭和五五年ころより、本件各建物の建替えを計画し、本件建物一及び二の賃貸借契約の更新に際しても、将来の建替えの際には代替物件を提供する用意がある旨約していたが、昭和六〇年六月には、新築建物について具体的な設計(建ぺい率八四・九五パーセント、容積率三五四・一九パーセントの鉄骨鉄筋コンクリート造地上六階地下二階建の建物)を行い、原告会社の取締役である訴外石原康雄を建築主として建築確認を申請し、同年一二月二〇日に右建築確認を得た。
(四) また、原告は、右建物建替えの計画に基づいて、本件各建物入居者らとの立退交渉に入り、原告が被告に対して本件更新拒絶の通知をした昭和六〇年六月初めころの時点では、第一富士ビル一階に株式会社友興社、「山親父」こと田村某及び「トン吉」こと吉田敬が、同二階に日本技術調査株式会社が(その余の二部屋は空室。)、第二富士ビル旧館一階に被告が、同二階に日本技術調査株式会社及び越川英子が、同新館一階に被告、桐設計事務所及びパール工芸こと中平茂が、同二階に日本技術調査株式会社が、それぞれ入居しており、石原産業ビルは原告会社事務所及び原告会社代表者の住宅として使用されていたが、立退交渉の結果、越川英子及び中平茂は昭和六〇年六月一六日に、吉田敬は昭和六一年二月二八日に、桐設計事務所は昭和六二年六月にそれぞれ明渡しを完了し、その余の賃借人のうち、株式会社友興社、田村某及び日本技術調査株式会社についても、本件訴訟の結果建物新築の見通しが立てば、いずれも再入居を前提としたうえ、円満に明渡しが得られる情勢となっている。また、本件土地上には扶桑荘と称するアパートも存したが、昭和六一年二月ころまでに入居者の明渡しが終了し、すでに取り壊されている。
(五) 原告は、被告に対しても昭和六〇年六月ころから立退交渉を始め、当初は具体的な代替建物をも提示しながら再入居案(請求原因一の(四)の(7)のとおり)を提示し、後には一〇〇〇万円の立退料提供による立退案を提示したが、いずれも被告の了承を得られず、交渉は決裂して本件訴訟に至った。
右交渉において原告は、被告の営む印刷工場の騒音、振動についても十分に配慮した再入居案を示し、再入居後の他の入居者らとの紛争を防止する措置を講ずることも約したが、被告は再入居後の紛争の発生、被告の追い出しを強く懸念し、駐車場が確保できないこと及び工事期間中の代替建物に関する不満もあって、再入居案を拒否したものである。
以上の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
原告主張にかかるその余の正当事由評価根拠事実についてはこれを認めるに足りる証拠がなく、とりわけ白蟻の被害に関する甲第九号証は《証拠省略》に照らしたやすく措信できない。
6 そこで、次に、抗弁1の事実(正当事由の評価障害事実)について判断するに、被告が本件建物一及び二において印刷業を営んでいること、昭和五八年ころに得意先であった会社からの受注がなくなったこと、現在地が新宿副都心に近く立地条件がよいことについては当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、《証拠省略》を総合すれば、本件建物一及び二は原告の修繕義務が十分に尽くされていないこともあっていずれも老朽化が進んでいるものの未だ当分の間継続的使用に耐え得ること、被告は右建物を印刷業の事務所及び工場として借り受け、現在は本件建物一を事務所として、同二を印刷工場として各使用しているが、右建物は構造や敷地の状況からして印刷業を営むに好ましい条件を備えていること、しかも右建物所在地は新宿副都心に近く営業上極めて立地条件がよく、いわゆる飛び込みの客も多く見込まれること、また、東京都庁の新宿移転が予定されていることから今後受注の増大が十分に予想されること(なお、被告は昭和五八年ころに得意先であった会社からの受注がなくなり、苦しい営業状態であったが、本件更新拒絶後、現実に都庁関係の受注が増えて、昭和六一年度の被告の収支は黒字となり、翌六二年度には年間約八〇〇万円の利益を上げている。)、印刷工場には騒音及び振動が伴うこともあって代替物件を近隣地で見つけるのは困難であること、顧客の大部分が地域に密着した者であるうえに、写植業者等の下請業者を近隣に確保しているところ、被告が現在地を離れればその大半を失うおそれがあること、また、被告には少なくとも五〇〇〇万円ないし六〇〇〇万円の借入金債務があり、被告会社代表者の自宅もその担保に入っていることから、営業不振の心配もある新たな場所での新規開業には心理的抵抗が大きいことの各事実が認められる。《証拠判断省略》
その他に、正当事由評価障害事実として考慮するに足る重大な事実はこれを認めることができない。
7 以上認定の各事実を前提に正当事由の存否について検討するに、建物の老朽化及び敷地の有効利用等の観点からは原告が計画する建替えの必要性が一応認められるけれども、被告が本件建物一及び二を印刷業の営業の唯一の拠点とし、地域に密着した営業を続けてきて、今後も同所での営業が順調に発展することが見込まれる反面、右建物と同等の条件を具備した代替物件の確保は困難で、移転に伴う顧客喪失のおそれも多分に存すること、したがって被告の右建物明渡しによる経済的損失は極めて大きいことなどからすれば被告の本件建物使用の必要性はより大きく認められ、立退交渉の経緯等を考慮したとしても未だ更新拒絶が正当事由を具備するとは到底認め難い。
8 そこで、次に請求原因1の(五)の事実(正当事由の補完事由としての立退料の支払い)について判断するに、前記認定の事実を総合すると、被告の本件建物一及び二の明渡しによる不利益は経済的損失が主であるから、右損失が填補される程度の立退料の提示があれば更新拒絶も正当事由を備えるに至ると解されるところ、鑑定の結果によれば昭和六一年一一月二一日時点における本件建物一及び二の借家権価格は二五〇〇万円であることに争いがないが、被告の不利益は単に賃借権の喪失にとどまらず、顧客の喪失等による営業上の損失が大きいことに鑑みると、原告の申出に係る二五〇〇万円の立退料の提示では未だ正当事由を具備するものとは認め難く、右借家権価格のほか、代替店舗確保に要する費用、移転費用、移転後営業再開までの休業補償、顧客の減少に伴う営業上の損失、営業不振ひいて営業廃止の危険性などの諸点を総合勘案すれば、立退料として六〇〇〇万円を提示することにより正当事由を具備するに至るものと認めるのが相当である。
なお、右立退料の金額は原告の提示額を大きく越えるものであるが、前記認定のとおりの建替計画の存在及び弁論の全趣旨に照らせば、原告には右金額程度の立退料を支払う意思を有するものと認められる。
9 よって、本件建物一(但し、「い」部分建物を除く。)及び二に関する原告の明渡しの請求は六〇〇〇万円の支払いと引換えの限度で理由がある。
二 「あ」部分土地について
1 請求原因2の(一)の事実(賃貸借契約の成立)については当事者間に争いがない。
2 同2の(二)の事実(合意解除)は、これに副う《証拠省略》は《証拠省略》に照らしてたやすく措信することができない。
かえって、《証拠省略》によると、次の各事実が認められる。すなわち、
被告は、第一富士ビル二階及び本件建物一を事務所として原告から賃借していたところ、営業上、駐車場が必要不可欠なことから、昭和五二年ころ、本件土地の西側空地の西寄りの一部を駐車場として借り受け、次いで昭和五五年一一月ころに、原告が本件土地西端に存したアパート(通称「扶桑荘」)の一階を改築してレストラン(通称「野バラ苑」)を建設する際に、原告との合意の下に右改築現場近くにあった右駐車場を「あ」部分土地に変更し(右賃貸借契約は、昭和五九年五月三一日、更新された。)、右改築後、「あ」部分土地に加えてあらたに野バラ苑の通路下の一部をも駐車場として借り受けた(保証金二万五〇〇〇円)が、昭和五八年に入ると、得意先であった日本技術調査株式会社からの受注がなくなって被告の経営が苦しくなったため、昭和五九年末ころ、経費を削減する必要上、原告に対し、第一富士ビル二階全部及び野バラ苑側の駐車場の解約を申入れ、原告もこれを了承して、右保証金を返還した。「あ」部分土地については、その後も被告において従前どおり本件建物一(但し、「い」部分建物を除く。)及び二の賃貸借契約に付随するものとして借り続け、駐車場としてこれを使用し、これに対して原告からも本件訴訟に至るまで何等の異議も述べられていない。
以上の各事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
したがって、昭和五九年末に合意解約された駐車場は野バラ苑側の駐車場であって、「あ」部分土地には変更がなかったものと認められるから、原告の右合意解除の主張は理由がない。
3 同2の(三)の(1)の事実(解約権の留保)についてはこれを認めるに足りる証拠はない。
この点に関し、成立に争いのない甲第六号証(賃貸借契約書)の第八条には右事実に沿う文言の記載があるが、被告の営業のためには駐車場が必要不可欠であることは前記認定のとおりであるから、被告が、一方的かつ容易に賃貸借終了の結果をもたらす解約権留保を真に了承したものとは解し難く、弁論の全趣旨によれば原告も被告の駐車場の必要性を十分に了解していたものと認められ、また、前掲甲第六号証によれば、右賃貸借契約書は定型用紙を用いて作成されていることが認められるから、これらに照らすと、右賃貸借契約書(甲第六号証)の第八条の文言は例文にすぎないと認めるのが相当である。
4 同2の(四)の(1)の事実(「あ」部分土地の賃貸借契約が本件建物一及び二の賃貸借契約に付随するものであること)及び同2の(四)の(2)の事実(本件建物一及び二の賃貸借契約の終了)はいずれも前記認定のとおりこれを認めることができる(但し、「い」部分建物以外については六〇〇〇万円の立退料の支払いを要する。)。
5 よって、「あ」部分土地に関する原告の明渡請求は六〇〇〇万円の支払いと引換えの限度で、賃料相当損害金の支払請求は本件建物二の賃貸借契約終了の日の翌日である昭和六一年五月九日から明渡し済みまでの限度で理由がある。
三 「う」部分土地について
1 請求原因3の(一)ないし(三)の事実(原告の土地賃借権及び被告の占有)については当事者間に争いがない。
2 そこで、抗弁2の事実(占有正権原)について判断するに、《証拠省略》によれば、被告は、遅くとも昭和五五年六月一日までに、本件建物二を印刷工場として借り受けるに際し、原材料及び製品の搬出入時の雨濡れ防止のため自動車を直接右工場内に乗り入れる必要があったことから、原告によって、本件建物二の西側に新たに出入口を設け、右出入口の外側にあたる「う」部分土地にスロープをつける各工事をしてもらったうえ、その引渡しを受け、以後「う」部分土地を工場との出入り、物品の搬出入に不可欠な敷地部分として建物と一体的に使用するに至ったことが認められ、右事実によれば、原告は、被告に対し、本件建物二を賃貸するにあたり、右建物利用に通常伴う敷地利用部分として「う」部分土地を無償で貸し渡したものと認められる。
3 しかしながら、再抗弁事実は、前記認定のとおりこれを認めることができる(但し、六〇〇〇万円の立退料の支払いを要する。)ので、結局、「う」部分土地に関する原告の明渡請求は六〇〇〇万円の支払いと引換えの限度で理由がある。
四 以上の事実によれば、原告の主位的請求は、「い」部分建物の明渡しを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、予備的請求は、本件建物一(但し、「い」部分建物を除く。)及び二並びに「あ」部分及び「う」部分土地の明渡請求につき、いずれも六〇〇〇万円の支払いと引換えの限度で、賃料相当損害金の支払い請求につき、本件建物一(但し、「い」部分建物を除く。)及び二については原告請求のとおり、「あ」部分土地については、昭和六一年五月九日から右土地明渡し済みまで一か月金二万八〇〇〇円の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条本文を適用し、仮執行宣言の申立については、相当でないからこれを却下して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 北山元章 裁判官 田村幸一 村野裕二)
<以下省略>